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当事務所のブログで6年ほど前に、当事務所依頼事件に基づいた家事従事者の休業損害の相場をまとめ、かつ、3通りの家事休損の算定方法を公表し多くの反響をいただきました(記事はこちら)。

その際、わが国の社会の家族観や社会構造の大きな変化に伴い、算定方法を見直すべきという提言を簡単に行いましたが、それから6年が経過し、当時よりもいっそう男性の育児や介護への参加が進んだことや、家事労働が単なる家族サービスではなく賃労働と等しい純然たる労働であるという家事労働観の変化により、昭和の時代から連綿と引き継がれてきた従前の家事従事者の賠償理論はもはや破綻寸前といっても過言ではなく、新たな賠償理論の構築は急務であると考えています。

そこで、家事労働や家事分担をされている方が交通事故に遭った場合の損害論につき、現在の社会情勢に即した弁護士丹羽の私見を以下述べます。
若干専門的になりますが、本考察をたたき台として、家事従事者の損害論について賠償実務上の議論が深まっていくことを願っています。


家事労働の対価性が認められる根拠~最高裁第二小法廷昭和49年7月19日判決(民集第28巻5号872頁)


最高裁は、他人のために育児や介護・家事を行う家事労働者の対価につき以下のとおり判示し、家事労働の対価性を認めその額は女子平均賃金とするとしました。

『結婚して家事に専念する妻は、その従事する家事労働によつて現実に金銭収入を得ることはないが、家事労働に属する多くの労働は、労働社会において金銭的に評価されうるものであり、これを他人に依頼すれば当然相当の対価を支払わなければならないのであるから、妻は、自ら家事労働に従事することにより、財産上の利益を挙げているのである。一般に、妻がその家事労働につき現実に対価の支払を受けないのは、妻の家事労働が夫婦の相互扶助義務の履行の一環としてなされ、また、家庭内においては家族の労働に対して対価の授受が行われないという特殊な事情によるものというべきであるから、対価が支払われないことを理由として、妻の家事労働が財産上の利益を生じないということはできない。のみならず、法律上も、妻の家計支出の節減等によつて蓄積された財産は、離婚の際の財産分与又は夫の死亡の際の相続によつて、妻に還元されるのである。
 かように、妻の家事労働は財産上の利益を生ずるものというべきであり、これを金銭的に評価することも不可能ということはできない。ただ、具体的事案において金銭的に評価することが困難な場合が少くないことは予想されうるところであるが、かかる場合には、現在の社会情勢等にかんがみ、家事労働に専念する妻は、平均的労働不能年令に達するまで、女子雇傭労働者の平均的賃金に相当する財産上の収益を挙げるものと推定するのが適当である。』


全部家事従事者の場合


以上の50年前の最高裁判例にしたがい、現在の賠償実務においても、家族のためにすべての家事労働を行う全部家事従事者は、全女性の平均賃金(令和5年学歴計・全年齢平均額¥3,996,400)を家事労働の対価とみなし、これを基礎収入として休業損害や逸失利益を算定することが大勢です。


【争点1】家事労働の対価を女性の平均賃金とすることは妥当か?


上記50年前の最高裁判例にしたがい、現在の賠償実務においても、家事労働の対価は原則として全女性の平均賃金とされています。

上記の最高裁判例が女性の平賃を採用した理由は「具体的事案において金銭的に評価することが困難な場合が少くないことは予想されうるところであるが、現在の社会情勢等にかんがみ、家事労働に専念する妻は、平均的労働不能年令に達するまで、女子雇傭労働者の平均的賃金に相当する財産上の収益を挙げるものと推定するのが適当である。」としているとおり、『現在の社会情勢等』を考慮した結果であるということです。
この最高裁が出された昭和49年当時は、女性が家事の中心を担っており、家事労働を外注することが市場として確立されていなかったことからも、「女性の労働の金銭的価値」すなわち働く女性の収入の平均額と家事労働の対価は等しいと考えることはそれなりに説得力をもっていたと考えられます。

しかし、現在のように、家事労働を(十分ではないにせよ)男性も担っている社会情勢にかんがみれば、家事労働は男女の労働の対価と等しいと考えるべきであり、家事労働の対価は男女計の平均賃金(令和5年男女計・学歴計・全年齢平均額¥5,069,400)を採用すべきとする社会的素地は十分あると考えられます。
このように考えることで、家事を外注した際の費用との均衡は少しは保たれますし、家事を単なる家族サービスではなく賃労働と変わらない純然たる「労働」であるという現在の労働観や、育児や介護などの家事労働の重要性を賠償の場面でもしっかりと評価することにもつながると思います。


男性家事労働者の場合


男性家事労働者であっても、家事労働の同質性(男女で家事労働の内容は基本的に変わらない)という観点から、女性の平均賃金を基礎収入とすることが現在でもまだまだ一般的といえます(横浜地裁令和3年11月29日判決)。

ただ、上記のとおり男性も家事を分担しているという現在の社会情勢や家事労働の重要性にかんがみれば、女性平均賃金を採用する理由に乏しく、賠償実務では、まだまだ家事は女性がするものという観念から解放されていないと考えざるを得ません。

男性家事従事者が急速に増えている社会情勢からは、男性家事従事者であっても性差を考慮せず、等しく家事労働は女性平賃ではなく全労働者の平賃と評価する方が妥当であるように思います。


【争点2】 兼業家事労働者の場合、家事対価に実収入を合算しないことは妥当か?


現在の賠償実務においても、家事労働者が社員やパートとしての給与を得ていたとしても、給与等の実収入と家事労働の対価を合算せず、いずれかの高い方を基礎収入とすることが一般的です(近時では金沢地裁令和4年1月28日判決など)。

その理由について、青本29訂版p75では「本来主婦業が24時間労働であり、その主婦労働全体の経済的価値を平均賃金をもって評価しようとするのであるから、その一部の時間をさいて現実の収入を得たとしても、それは主婦労働の一部が現実収入のある別の労働に転化したにすぎないとの理由付けがされている」と説明しています。

しかし、現在の兼業家事労働者の実態は、賃労働をしている分だけ家事が免除されるわけでもなんでもなく、賃労働に時間を割かなければいけないので、専業だろうが兼業だろうが等しく求められている家事をより限られた時間で効率的にこなしているだけに過ぎません。
つまり、純モデル的に考えるのであれば、人の労働時間を等しく8時間とすると、通常8時間で行うべき対価1万円分の賃労働を4時間でこなし、その空いた4時間分を通常8時間で行う家事に充てている、もしくは家事労働のために労働時間外の労働を強いられていると考えることができます。

これが多くの兼業家事労働者の方々の実感でしょうし、上記青本で挙げられた説明は、家事従事者は24時間体制で家事に従事せよという前近代的な雰囲気さえ感じられます。
極論すれば、24時間365日家事労働に従事したとしてもわずか年400万円の評価しかされず、これがまさに「The 家事」なのだというのが、従前の賠償実務の考え方の根本にあるように感じられてしまいます。

家事労働を不当に低く見て、家事労働者は土日祝日もなく睡眠時間や自分のための時間を一切認めず24時間365日体制で家事に従事せよ、それが家事なのだからという古い考え方や説明は即刻捨て去るべきです。

これに対しては、専業と兼業では家事の質が違うとか、専業主婦は家事の合間に休んでいて、本来的な家事は4時間分に過ぎないという反論も一応考えられますが、それが論外であることはいうまでもありません。

そもそも家事労働も賃労働と同じく「労働」であることに変わりはないはずですし、家事が24時間労働であるという考え方は、もはや現在の「労働」という概念に合致しないことは明らかだと思います。
なお、この考え方は実際には育児・介護が24時間体制であるという現実を否定しようとすることを意図するものでは全くありません。
あくまでも人が人らしく健全に生きるために、賠償上も賃労働・家事労働を問わず等しく労働としてとらえ、人が労働に割くべき時間は一定とすべきであり、これを超える労働時間は「残業」として評価すべきであるという考え方であることにご留意ください。

家事も賃労働と同じように労働であり、24時間体制を強いられるものでもなんでもなく、家事も含めて人が働くべき一日の「労働時間」というものをしっかりと観念して、兼業家事労働者に課された賃労働及び家事労働の総和や、家事労働による「残業」という概念を考えていけば、兼業家事従事者の基礎収入は、給与所得者としての給与と家事労働の対価を合算して考えることができますし、少なくとも、上記実態に即して兼業家事労働者の家事労働としての基礎収入は、賃収入分も考慮してある程度上乗せされるべきことは当然だと思います。


家族全体の労働(世帯収入)という考え方


以上の考え方は、家事労働者「個人」の労働状況に着目したものですが、このような家事労働者個人が従事する労働内容や、社会が観念する「家事のあり方」としての対価を考えるのではなく、家族観の多様性や現在の家族内の賃労働及び家事労働の実態に即して、「家族」自体を個体として家族全体の労働を捉える方が、より現実に即した議論が可能になると思われます。

つまり、両親がいわゆる「共働き」でともに家事に従事しているという家族が急速に増えた現在では、従前の家事労働者という個人単体ではなく、賃労働や家事労働を含めその家族にとって必要とされる労働を、家族全体が家族単位で分担して行っていることを前提として議論を行っていくことで、現在の家事従事者に関する諸問題を解決していけるのではないかと考え方です。

以下、従前の労働者個人や社会という観点ではなく、家族全体での労働という観点から考えていきます。


【争点3】家事労働の対価を平均賃金とすることは妥当か?


現在家事分担をしている多くの家族に当てはまると思いますが、家事も家族全体で必要とされる労働という考え方に立ち、家族ごとに必要とされる家事の内容はそれぞれ違うという点に着目すれば、家事労働の対価は、その家族全体の収入すなわち世帯収入とすることも考えられます。

そもそも、家族観やライフスタイルの多様化により、各家族の家事労働の内容は大きく異なっているはずです。
にもかかわらず、依然として平均賃金を採用し続けることは、家事を社会的に一律固定化して評価していると考えざるを得ません。

他方、家事労働の対価を世帯収入とする考え方は、各家族で異なる労働の実態に即したものとなりますし、人の稼働能力の一部を家事労働に充てており、その人の稼働能力を金銭化したものはその人の賃収入であり、一方配偶者が得られた賃収入は他方配偶者の家事労働の貢献によるという考え方により親和的です。

例えば、一方配偶者Aさんの実収入を500万円、家事分担割合を30%とし、他方配偶者Bさんの実収入を300万円、家事分担割合を70%とし、Bさんが事故により家事ができなくなったという事例を考えます。
この世帯収入という考え方によれば、このAさん及びBさんの合算した稼働能力(すなわち家族の家事と賃労働を合算した能力=世帯収入)を合わせると800万円ということになり、その一部を家事に充てているのであるから、世帯全体の労働の対価は800万円とすることができ、そのうちの家事の7割をBさんが担っていたのであるから、560万円がBさんの家事労働の対価ということができます。

この考え方は、家族全体で稼ぎ家事を分担するという現在の社会構造や家族像に合致していると思われますし、他方配偶者の収入も家事労働の金銭評価の基礎となりますので、家事に従事している分、賃労働に充てられる時間が限られ賃収入が低くなっているという点を補うことができます。
また、一方当事者が家事従事しているからこそ、他方配偶者が収入を得られているとして世帯収入を配偶者間で二分するという家族法の理論にも合致し法理論的にも整合性を有します。
そして、兼業労働者についても、自己の収入分は家事労働の対価の算定の基礎とされていますし、家事労働の金銭評価に他方配偶者の賃労働部分(一方当事者が家事を担当したことで得られた賃金)も上乗せされますので、実収入分を家事労働に上乗せできるかという問題も避けることができます。
何より、世帯収入を基礎とし、男女格差がまだまだみられる平均賃金を採用しませんので、性差を問題にする必要もなくなります。

ただ、この考え方によれば、世帯収入が低い場合、家事労働の対価が不当に低く評価されてしまうという点に大きなデメリットがありますし、休業していないが家事はできなかったという場合、どのように休業損害を算定するかという問題も残ります。


自分のための家事労働


ここまでの議論で注意しなければならないのは、家事労働として評価されるのは、あくまでも家族などの他人のために家事をしている場合で、自分だけのために家事をしていても家事従事者とは認められません。
すなわち、一人暮らしで自分のために家事をしていたとしてもそれは単に生活しているだけであり、労働とは評価されません。
確かに、他人のための家事労働の中には自分のための家事も含まれますが、賠償上特に他人のための家事労働から自己のための分を差し引くという考え方はしていません。


【争点4】お互いに家事をし合っている場合は家事労働者性が認められないのか?


例えば、夫婦二人暮らしで育児も介護もしておらず、お互いに家事をしあっている夫婦の一方が交通事故で家事ができなくなった場合であっても、家事労働者といえるのでしょうか。

確かに、お互いに自分と相手の家事をやりあっているだけで、いずれも自分のための家事として家事労働者としては評価できないと考えることもできるかもしれません。
しかし、このような場合でも、家事分担割合に応じた家事労働の評価をすべきであることは当然と考えています。

具体例として、夫婦ともに賃労働に従事しつつ、一方配偶者Aさんが洗濯・掃除を担当し、他方配偶者B さんが日用品の買い物と炊事を担当しており、その家事分担割合が概ね50%ずつと評価できる場合で、Aさんが交通事故に遭って、洗濯・掃除ができなくなった場合を考えてみます。

まず、Aさんは、Bさんのためにしていた洗濯・掃除の労務の提供が不能となったのですから、この範囲では家族であるBさんのための家事労働が不能となったといえるはずです。
Bさんが従前の生活を営んでいくためには、洗濯・掃除をAさん以外の人に外注しなければなりませんし、Aさんが事故に遭ったからといって、Aさんのための炊事等が免除されるわけでもありません。

確かに、Aさんの洗濯・掃除のうちの半分は自分のための家事という面もありえますが、上記のとおり、自分のための家事分を含んでいたとしても家事労働者性は失われませんし、その分家事の金銭評価から差し引かれるわけでありませんので、この場面でのみ自分のための家事労働部分を持ち出すのは公平ではありませんし、理論的な整合性もありません。
そして、Bさんから受けていた家事労働はAさんにとっては、まさに自分のための家事労働になりますので、これも同様に考慮する必要はないことになります。

以上のように考えれば、Aさんはその家事分担の割合である50%の範囲で家事労働をしていると評価でき、他人のための家事(例えば育児)を夫婦で共同して行っている場合の家事分担と同様に考えてもいいと思われます(家事の金銭評価をどうするかは別途考慮する必要はあります)。

以上のように、夫婦二人暮らしでお互いに家事をやりあっている家族でも、家事労働者性を認めることは可能であり、「お互いに家事をやりあっているだけだから、家事労働者性は認められず、家事休損は発生しない。」という論調は正しくないと考えます。

上記例で夫婦がそれぞれ賃労働に従事していた場合であれば、当然それぞれに賃労働の消極損害性は認められますので、なぜ家事労働だけお互いにやりあうと損害が認められなくなるのか疑問ですし、このように考えれば、例えば、高齢のご夫婦などでよくみられますが、双方無職であるにもかかわらず、女性配偶者のみが家事を一手に担っている場合、女性配偶者に100%の家事労働者性が認められることとの整合性も認められるのではないかと考えています。


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